
すべては君の「知りたい」からはじまる
普通科・探究学科群(人間探究科・自然探究科)
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師走に入った。
冷え込みが一段と厳しさを増す季節は、気持ちを静かにし、学びに向かうのに適した時期だと感じる。とりわけ、しんと静まり返った夜には、今まで手が届かなかったものに、あと少しで届きそうな気持ちにすらなることがある。
月初の週末、「高大連携フォーラム」に参加する機会を得た。「探究のセグメント化」に関する問題提起や議論に、いろいろなことを整理された思いだなあ…と感じる。
参加していた友人と一緒に昼食をとりながらその話をしたところ、彼も同感であったとのこと。そのやり取りで、さらに学びが深まる。
その日の夜、日常から少し距離を置き、外部の研修会に足を運んだ。誰に求められるわけでもない。二十年以上続く、自ら選び取った学びの時間である。(毎回提供される学びを、私がどれだけ吸収できているかはわからない。しかし、自分の意志で学び続けるプロセスそのものが学習なのだろうと、「セグメント化」に思索を巡らせながら会場に向かう途中で、ふと思った。)
「学習とは固定観念の更新である」という。知識を増やすこと、技能を身につけること、それらのいずれも大切である。だが、学習の本質とは、「自分はこう思い込んでいた」という前提を書き換えていくことであるという。私たちの学びを考える際、どの観点を切り口とするか。「学んでいるかどうか」は、どれだけ知識や技能を吸収したかどうかだけで測れるものではない。「そう思っていたけれど、違う見方もあるのかもしれない」と感じた瞬間、あるいは「自分はこういう前提で物事を見ていた」と気づいた瞬間に、物事は構造化され、あるいは立体化されているのかもしれない。そのとき、「学び」は確かに起こっている。「学習」とは、答えをインプット・アウトプットする能力の獲得(だけ)を意味するのではなく、固定観念を書き換え(続け)る旅と言えるのであろう。
「学び」を捉え直す。静かに沈思黙考すること。一人深く思索に耽ること。また、他者との対話で学びを交流し、深めること。授業を受講すること、いや、授業に参加すること。授業と、他者と、交歓すること。いずれにしても、自ら「積極的に参加する」という姿勢(構えと言ってよい)が、学びを深めるに際し、大きな意味を持つ。他者との対話の場面において、どのような姿勢(構え)で臨むか。うなずく。拍手を送る。短い言葉を交わす。相手を肯定する。(単なる批判・非難と、真にクリティカルであることは、全く別物である。)肯定的に言葉を交わす。それだけのことで、場の空気は驚くほど変わる。沈んでいた温度が少し上がり、人の温もりは循環し始める。
個人として・組織として、学びの質とパフォーマンスを向上させるためには、何が求められるのか。「思考の質」を高めると、「行動の質」が向上するという。「行動の質」が高まると、「結果の質」が向上するらしい。では、そもそも「思考の質」を高めるためには何が必要か。個々人がつながり、形成する組織の「関係の質」が高まることで、「思考の質」は劇的に向上するという。
子供(生徒)の学びと大人の学びは相似形であると言う。「固定観念を更新する…」「関係の質を高める…」と、唱えつつ、学びの夜は更けていった。
船越 康平
