
すべては君の「知りたい」からはじまる
普通科・探究学科群(人間探究科・自然探究科)
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週末、東京都内にいた。「探究道場サミット」がお台場の科学未来館で開催されたためである。
品川駅のプラットホームで、「サン・トワ・マ・ミー」を口ずさむ若者がいた。通りすがりの偶然であったが、そのリズムが都内にいる間、頭を離れなかった。
「サン・トワ・マ・ミー(Sans toi ma mie)」は、1962年にベルギーの歌手・サルヴァトール・アダモによって作詞・作曲されたシャンソンである。原題は「あなたなしでは、わたしのいとしい人よ」。やがて日本では、アルゼンチン出身の歌手グラシェラ・スサーナや越路吹雪が日本語でカヴァーし、透明な歌声と柔らかな響きで多くの人の心をとらえた。高度経済成長のただ中にあった当時、人々は効率と成果を追い求める日常の中で、知らぬ間に心の余白を失いつつあった。そんな時代にこの曲の、「あなたなしでは」という静かなフレーズは、他者に対する想いを届けることになる。
1990年代、忌野清志郎がこの曲を大胆にアレンジした。彼の《サン・トワ・マ・ミー》は、シャンソンの哀切をロックの熱と魂で包み直し、時代の空気を変えた。彼の歌声には、愛の対象を特定の「誰か」に限定しない普遍性が宿っていた。それは恋人だけでなく、友、家族、そしてこの世界そのものへの「あなたなしでは」であり、時代に押し流されながらも「人としての温もりを忘れたくない」という、彼自身の祈りとも言われた。
京都へ帰り、そして後期が始まった。
教室の窓から見える空も少し高い。季節は移り、酷暑を越えて、朝夕の空気は澄んでおり、校舎を冷涼な風が通り抜ける。新しい学期の始まりに、緊張と静けさが交錯した。夏の喧騒が過ぎ去り、私たちは少しだけ立ち止まり、自分を支えてくれる人々の存在を思い出す季節を迎えている。
京都への帰路、大学時代のことを想い出していた。アルバイトで家庭教師をしていた高校生が大学合格を果たし、さあ今日で終了、という日。「これで縁が切れるのも寂しいじゃねえか。うちが経営する鉄工所の一室が空いている。そこに住まねえか?」という、願ってもない提案を社長(高校生の父親)からいただいた。昼は金属を打つ音が響き、夜は静寂に包まれる。そんな二階の一室に、大学後半の二年間、無償で住まわせていただいた。京都を離れて一人暮らしをしていた私にとって、そのご厚意は経済的、心理的に絶大な支えであった。
人は、見えるところでも見えないところでも、誰かに支えられている。それは仲間や友人、家族や親戚かもしれない。あるいは、先生や近所の人、過去に出逢った数え切れないほどの人々であるかもしれない。ひょっとすると、私にとっての「家庭教師をしていたご家庭」のような、偶然によって出逢い、邂逅のあった人々であるかもしれない。
「サン・トワ・マ・ミー」-あなたなしでは。
この言葉は、敬意や感謝の表現であり、同時に希望の約束なのではないか。誰かに支えられ、次に誰かを支える。人は、見えない何かによってつながりを持ちながら生きていく。その往復の中にこそ、人としての真実がある。歌い継がれた曲は変遷を辿ってきたが、その言葉に込められた想いは、時代を越えて変わらない。
大切なことは、恐らく、レトリックに虚飾されることなどない。本当に大切なことは、複雑ではなく、意外なほどシンプルなものなのではなかろうか。
船越 康平
